おはようございます。
高橋繁行著『土葬の村』を読了いたしました。
私が5歳のころ叔父(母の弟)が事故で亡くなりました。通勤途中に自転車で崖から転落したのです。崖は50メートル以上の垂直の絶壁です。帰宅した叔父はにわか作りの担架に載せられ遺体には莚(ムシロ)が掛けられていました。
葬儀は自宅で行われ墓地までの葬列が組まれ、墓地には長方形の穴が掘られており叔父はその穴の中に降ろされ上から土が被せられました。昭和40年(1965)ころの話です。昭和39年6月には新潟地震があり、翌月7月には東京オリンピックが開催されました。
土葬は禁止されているわけではないそうです。
釈迦は火葬され、分骨されました。国土の狭い日本では火葬は現実的です。
普段から墓は要らない、散骨で良いと言っている私ですが次の言葉が心に残りました。
「死んだら故郷の土に還りたい、それだけや」
「今のお葬式は死ぬと火葬し、遺族の心の整理がつかないまま進んで行きます」
通夜を含め葬儀は目一杯ムダをして亡くなった者の死を受け入れ、供養することなのかも知れません。人の死に効率を求めると企業などの豪華な社葬、その反対側にある直葬になるのでしょう。
間違いなく著者の労作です。