還暦 ~精神年齢40歳~

京都でのあふれる想い、出身新潟

田植え休み

おはようございます。

 

個人タクシー開業までの有休消化をしています。

 

昭和36年(1961)生まれです。昭和、平成、令和と生きてまいりました。

私が小学生のころ「田植え休み」というのがありました。4月下旬から5月上旬だったと思いますが、50年近く前のことなの詳しくは覚えていません。確か5日間くらいの休みだったと思います。

 

小学校全体が休校となりそれぞれの家の田植えを手伝うのです。私の家の田んぼの面積は広くなかったので、実際には小学生の手伝いなど必要なかったと思いますが、遊び半分で手伝った記憶があります。それは労働などでは決してなく、楽しいひとときでした。

 

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実際にはこんなきれいな服装はしていません。しかも裸足だったような記憶があります。

 

 

私がこどものころ冬は本当に冬でした。嫌と言うほど、あるいはこれでもかと言うほど雪が降りました。家の玄関から村道に出るまでが一苦労だったのです。3月上旬まで鉛色の重く垂れこめる天気は続きます。村人は雪と闘いながらひたすら春を待つのです。実際には大人はいつものことだと諦念し静かに過ごしていたのでしょうが、私には何故か息を潜めているような感じがありました。

 

 

3月になるとある朝突然太陽が顔を出すのです。青空が広がっています。真冬でも晴天の日はあったのですが、それを忘れさせるほど長い時間が経っているのです。

 

一度失地を回復した太陽の勢いは止まりません。村人が4ヶ月ほど待ち侘びた晴天が続きます。秋から冬への移行では両者の鬩(せめ)ぎ合いが長雨を挟んで数回あります。ところが冬と春は一夜にして変わるのです。よほどのことが無い限り退行はありませんでした。

 

残雪はまだ優に1メートル以上あります。しかし日当たりの良い斜面の所々に地面が顔を出します。そこにはやがて蕗の薹(フキノトウ)が薄緑の頭を擡(もた)げてきます。村人が一番早く目にする緑色です。小川の畔(ほとり)には猫柳が羽毛を膨らませます。コンクリートで固められていない冷たい雪解け水が流れる用水路では、芹(セリ)が揺れています。田んぼの畔(あぜ)から覗き込むと気の早い蛙がすでに産卵を済ませています。小川の流れの音も忘れていた、と村人は気が付くのです。

 

春の大爆発まであと少しです。晴天が続くことにより放射冷却が起き残雪はカチンカチンに凍ります。子供たちは凍った雪の上を、つまりは籔の上や田んぼの上を歩きながら学校に行きます。

 

山桜が咲き、ゼンマイ、ワラビ、ウド、こごみ(クサソテツ)などが収穫され食卓にのぼり、田植えを最後に春の大爆発は終了です。そこからは新緑の季節となります。

 

私が小学校高学年になったとき、田植え休みは無くなりました。

そして現在、生家の周辺には耕作放棄地が広がっています。