還暦 ~精神年齢40歳~

京都でのあふれる想い、出身新潟

願わくは 花の下(もと)にて 

おはようございます。

 

タクシー運転手です。

タクシー運転手になるまで、つまり私は40代半ばまで鎌倉時代室町時代の区別が付きませんでした。

 

タクシーの仕事は送迎だけではなく、観光貸切も重要な仕事です。修学旅行生や一般のお客様を神社仏閣などにご案内し説明するのです。

観光貸切の仕事をするには社内試験を受け、観光ランクの認定を受けなければなりません。当然日本史もある程度知らないと、お客様にご案内できません。

 

 

 

勉強しました。そんな中、西行法師に出会いました。

 

願わくは 花の下にて 春死なん その如月の 望月のころ

 

西行法師が詠んだうたです。このうたに対する私の印象は、甘っちょろいことを言ってるな~、です。

 

私が同じように願うなら、真冬の厳寒の猛吹雪の中となります。理由は説明できません。

https://2.bp.blogspot.com/

 

 

正法の時 仏滅後500年又は1000年の間

     仏の教えが良く保たれ、正しい修行によって悟りが得られる時

 

像法の時 正法の次の1000年間

     教えや修行が行われるだけで悟りが得られなくなった時

 

末法の時 教えが説かれるだけで、修行者も悟りを開く者もいない時

https://kotobank.jp/

 

日本における末法1年目(1052)

宇治平等院鳳凰堂阿弥陀堂)(1053)

白河上皇院政を始める(1086)

保元の乱(1156) 崇徳上皇 対 後白河天皇

平清盛太政大臣になる(1167)

壇ノ浦の戦い(1185)

源頼朝征夷大将軍となる(1192)

西行(1118~1190)

 

多分私には想像もできない厳しい時代を西行は生きたのだと思います。せめて亡くなる時くらいは、満開の桜の木の下で、釈迦が入滅した日に、と願ったのでしょう。

 

 

ーーーそれに対して私は、

とても幸福な時代を生きていると思います。何しろ戦争と飢えの経験がないのです。

今まで存在した全人類の中で戦争と飢餓に無縁だった人の割合はどれくらいでしょう?

 

もし私が第二次世界大戦中に兵隊だったら、毎日上官から殴られていたでしょう。私にはそういう側面があります。

 

もし私が北朝鮮で生まれていたら精神病棟に隔離されているか、強制労働させられながら思想教育を受けているか、ひょっとしたら既に処刑されています。あんなに感情を込めて万感の思いで精一杯に、時には涙を流しながら労働党総書記に拍手することはできません。バカバカしくてできません。

 

もし私がウクライナに生まれていたら、間違いなくロシア兵と闘っています。

 

もし私が今現在の米国に生まれていたらホームレスになり薬物に溺れていたかも知れません。億万長者の自分は想像できません。

 

こう考えただけでも、私はとても幸福で運の良い人間だと思います

 

 

最後にもうひとつ西行

 

なにごとの おはしますかは 知らねども かたじけなさに 涙こぼるる

 

これぞ日本人の宗教観、と思います。