還暦 ~精神年齢40歳~

年齢同一障害者の映画・音楽・雑記など

転職は怖くない・完結編(倉庫で働いた)

おはようございます。

 

39歳の秋に私は運送会社の営業所に配属になりました。役職は係長のままでした。

 

①取引先だった保険会社の営業のおばさんは心配してくれました。

「今まで肉体労働なんかしたことが無いのだから無理だ」

心の中では食肉工場でも働いていたのだから大丈夫だと思いました。私の体は少し肥満ですが、どちらかと言うとマッチョです。

 

 

②私自身は、私の落ち度で配置換えになったわけでも無いので、いずれ復活の機会はあるだろうと楽観的でした。

「旅行事業部が異常だったのだ。すぐに私と言う人間がわかって貰えるだろう」、そう考えていました。

どのように復活するのかははっきり考えが及びませんでしたが、私の移動の理由はすぐに理解して貰えるだろうと思って必死に倉庫内作業をこなしました。作業は清涼飲料水と清酒の仕分けでした。

 

 

ダメなのは旅行事業部であって私ではないあなた方の稼ぎで旅行事業部は何とか持ちこたえている。一番訴えたいことでした。

 

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③世の中は私が考えていたのとは違いました。えがお花畑でした。

・勤務初日に朝礼が行われましたが、支店長代理から私の紹介はありませんでした。まるでそこには存在しない空気のような扱いでした。

・支店長代理からいきなり4トン車を運転させられました。私は旅行事業部時代にグループの自動車学校で大型自動車運転免許を取得していました。私は初めて4トン車で公道を運転し、支店長代理が運転する車を必死で追いかけました。

いきなり未経験者に4トン車を運転させる運送会社などないはずです。おそらく私がビビって辞めていくだろうと考えたのだと思います。

 

 

④変な噂でも流されているのか?

・たまに会う旅行事業部時代の取引先の人達の、態度と視線が明らかに違いました。

成功している間はちやほやしても、一旦没落するとすっと周りから人がいなくなる、そんな話を聞きます。そのミニミニバージョンでしょうか。

 

・私を嘱託にするために役員と部長が持ち出した話があります。私が韓国ソウルなどの売春宿で、お客様よりも先に女性を選んでいるというのです。その時は「何とでも好きに言っておけ」と思いました。それが私の季節外れの「移動」の理由とされていたのかも知れません。

 

実際にグループ会社の旅行では韓国やフィリピンセブ島などにおいて、私の知らないところで買春が行われていたと思います。

 

部長はソウルの売春宿の女将ni日本語で電話して得意になっていました。

 

私の移動の本当の理由は旅行事業部としても、対外的には説明しにくかったと思います。変な噂を流していたのかも知れません。

 

 

⑤長男が誕生しました。

 

⑥2年後係長から主任に降格になりました。

 自分では諦観しており動揺しなかったつもりでしたが、一回妻に「俺は降格されたんだぞ」と、大声を出しました。

 

⑦さらに2年後平社員に降格になりました。

 

⑧私の移動後に入社してきた新入社員が主任になりました。

 

 

そろそろ年貢の納め時でした。私は転職を決意します。

 

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私は退社して引っ越しをしました。46歳でした。目的は英会話ドライバーになるためです。

 

 

例のライバル会社からの旅行事業部長ですが、亡くなっていました。ネットで知りました。コロナ禍が世界を覆う直前に58歳で亡くなっていました。

 

「あれだけ煙草を吸い、あれだけ酒を飲み、あれだけ24時間働いていることを自慢してたら寿命も縮むわな」

が、私の最初の思いでした。会社を独立させることもなく、取締役になることも無く、県の経済団体の理事になることも無く逝去されました。

 

~~~棺を蓋いて事定まる~~~

 

私ははまだ生きています。生き抜いてみせます。

 


 

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