還暦 ~精神年齢40歳~

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転職は怖くない③(観光部に配属された)

おはようございます。

 

転職について書く以上自分のパーソナリティを述べなければなりません。

 

①私にはリーダーシップがありません。後輩を育て導き統率することが得意ではありません。無理にやればできるのですが、そこには不自然さが伴います。下手をすると部下に嫌われないように気を遣って頻繁に酒をおごり、家計がパンクするぐらいはやっていたかも知れません。

上に弱く下に強いわけでもなく、部下の手柄を横取りなどは絶対せず、パワハラもせず、失敗の原因を部下に押し付けるタイプでもないと思います。

 

②親分・子分の関係が苦手です。職場の人間関係よりも、やはり大事なのはお客様との関係だろうと思ってきました。

 

③「サラリーマン」よりも「職人」を目指しましたが、出過ぎる杭になるほどの実力は無かったのかも知れません。

ーーー出る杭は打たれる、出過ぎる杭は打たれないーーー

 

④極端な判断をする傾向がある。

 

⑤裏表がないと自分では思っています。人によって対応を変えるのは疲れます。

 

 

 

それでは転職第3話です。

 

(1)運送会社に就職した。

Jターンをして就職した貿易会社を3ヶ月で追い出されたあと、食肉工場で鶏の解体のアルバイトをしていました。

そんなときトラック運転手募集の折り込みが正月の新聞に入りました。ここが私の極端なところです。流れが貿易事務→食肉工場→トラック運転手です。あまりない例かも知れません。トラック運転手になろうと思ったのは単に稼げるだろうと思ったからです。

 

実のところ貿易会社をたった3ヶ月で追い出されて、自信を無くしていたのだと思います。たった30歳なのにもう30歳と思っていたのです。

 

めでたく運送会社に採用されました。タクシー会社と同じ労働集約産業です。世の中はバブルの末期でした。

 

その会社は観光部を立ち上げていました。私は20代に東京で添乗員のアルバイトをしていました。それが運送会社の直属の課長の目に触れ、私は観光部配属となりました。

ーーー神様は間違いなく私にチャンスをくれましたーーー

 

 

www.irasutoya.com

 

 

観光部にて

・大手旅行会社から出向の部長以外みな素人だった。私は添乗員の経験はあったが、営業の経験はなかった。

・部長は私よりもリーダーシップが無かった。我儘な女子社員をたしなめることすらできなかった。私も女子社員をうまく統率できず、結局怒り出して嫌われた。

・部長は趣味のように海外旅行の行程をワープロで作成するばかりで、営業に関しては指示も指導もなかった。

 

・私はその運送会社のグループ会社を回ることにより営業と事務を覚えていった。

・係長に昇進した。

・2回目の全科目受験で一般旅行業(総合旅行業)取扱主任者に合格した。

 

東京六大学出身の旅行業経験者が課長代理として採用された。海外旅行しか担当経験が無いと言うこの人も大人気なかった。私と同じで自分の感情を優先するような所があった。

・それまで曖昧だった観光部の担当役員が、タクシー会社出身のA顧問に決まった。

 

・32歳で妻と偶然出会った。34歳で結婚した。36歳で長女が生まれた。

ーーー神様は又々チャンスをくれたーーー

新婚旅行は妻の希望でポルトガルだった。

 

・観光部開設から7年が経過していた。依然として赤字だったが、運送会社本体が面倒を看てくれていた。

 

・タクシー会社出身のA顧問は人を入れ替えることによる事態打開を試みた。

・大手旅行会社から出向していた部長を本体に返し、六大学出身の課長代理を課長として観光部のトップに据えた。

 

それでも業績は上向かなかった。A顧問は嘱託契約の課長を解雇し、自分の大学の後輩を部長に据えた。その部長も運送会社系列の旅行会社で働いており、いわばライバル会社から引き抜かれた形だった。

 

新部長が着任した。暫くして私の地獄が始まった。

 

 

ここまで読んでいただきありがとうございます。どこからか少数ながら「本来お前が部長となり引っ張っていくべきだったろう」、の声が聞こえます。そこはやはり個人の能力でしょうか、それとも野心でしょうか?

 

 

続きはまたいずれ。

 

 

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