おはようございます。
高校時代の同級生は孫に恵まれ、自分のことをジージなどと呼ばせて目尻を下げています。
私は個人タクシー運転手を目指していますが、個人タクシー運転手はのんびりと仕事をするのが目的で開業する方々が大半です。
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このような心境にどうしてもなれないのです。なぜかを説明するのに小説家丸山健二氏が書いていた文章を引き合いに出すのが良いと思います。文章そのものを読み返していませんので、私の記憶に頼る不正確なものになります。
心にぽっかりと穴が空く
丸山健二氏は少年のころ休日を両親と共に過ごしていました。庭にはコスモスが揺れていたそうです。平和な休日です。
~~その時~~
丸山少年はなぜか心にぽっかりと穴が空いたのを感じたそうです。はっきりと穴が空いた瞬間の音まで伝わったそうです。そして丸山少年は「この世は果たして生きるに値するのか」と言う強い問いに捕らわれます。そしてぽっかりと空いた穴にはビュービューと風が吹き込んだそうです。そして丸山健二氏ご自身は、そのぽっかりと空いた穴を埋めるためにがむしゃらに生きている、と言う内容でした。
私もこの感覚に近いのです。穴があいているというよりは、まだやり足りない、まだ生き足りない気持ちです。
今までいい加減に生きてきたつもりはないのですが、このまま終わったら不完全燃焼です。
誤解しないでいただきたいのは、私のこの気持ちは権力欲や名声欲あるいは金銭欲とはまったく別次元のものです。
私と同年代の男たちの中には人生の総決算として、あと一歩で代表取締役だ、いや理事長だと脂ぎっている方々もいらっしゃるでしょう。私と正反対の立場にいらっしゃる方々です。
また、私の生き方は真面目とか一生懸命とも次元が違います。今さらもっと真面目に生きて誰かに認められようとは思いません。あくまでも自分だけの満足感になります。
私の場合は諦観して守りに入っているのでも無く、かと言って競争のラストスパートをしているわけでもありません。
ただあと残された健康寿命の中で自分がどれくらいのことができるか、になります。
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ご注意ください。丸山健二氏は劇薬です。強い拒否反応を示す方々もいらっしゃいます。
あるいは
我々の人生は到底運ぶことのできない大きな石を、人力で坂の上に持ち上げようとしているようなものだ。石は坂の上まで運べないかも知れない。しかしその石を運ぼうとする中にこそ、生の輝きがある。