おはようございます。
このシリーズはこれで終了です。
抹香臭い話ばかりで申し訳ありません。しかし自分の死、あるいは最期を考えることはこれからの生き方を考えることでもあると思っています。
1・高校時代に習った漢文です。
「去者日以疎」 無名氏
去者日以疎 去る者は日々に以ってうとく
來者日以親 きたる者は日々に以って親しむ
(中略)
古墓犁爲田 こぼは すかれて田となり
松柏摧爲薪 しょうはくは くだかれて薪と
なる
(省略)
去って行った者は日に日に忘れ去られ、
会う者は日に日に親しさを増していく。
古い墓は鋤かれて田となり、
墓の記念樹は切り倒されて薪となる。
暗記させられました。古い墓が耕されて田んぼになり、記念樹は薪になってしまう個所が、1行目よりも記憶に強く残っています。
2.去年高野山へ行きました。
奥の院までバスで行きそこから歩きました。たくさんのお墓があり、中には歴史上有名な人物のお墓もありました。どのお墓も手入れが行き届いていました。
しかし中には明らかに放置されている墓も見受けられました。人の手が入った形跡がないのです。他の墓と比べてコントラストが強すぎました。
3・無縁墓
山間にある実家から少し離れたところに放置された墓があります。おそらくたった一家族だけの墓です。どんな家族だったのか、なぜその墓が他の家の墓と離れてポツンとあるのかはわかりません。ひょっとして村八分にでもあったのかもしれません。無縁墓です。墓石には「春光院梅林道笑居士」とあり、安政の元号がありました。江戸時代末期です。線香をお供えしました。
母が教えてくれたことですが、戦後の農地解放が行われたときに、その墓の墓石を倒して元小作人たちは豆などを植えたそうです。まさに古墓犁為田(古墓は鋤かれて田と為る)です。
3.墓は要らない
墓も葬式と同様に亡くなった者よりも、遺族のためにあるように思います。お墓に行けばそこに亡くなった人が眠っているのです。ごく自然な心情です。
私の場合墓は要りません。
ピラミッドやタージマハルや日本の古墳に負けない立派な墓を建ててあげる、と言われても不要です。
レーニンや毛沢東は廟に眠っているようです。北朝鮮の指導者は太陽宮殿に眠っているそうです。死んでなお、お疲れ様ですと申し上げるしかありません。
楠正成が馬に乗っている銅像はカッコイイと思います。
しかし例えばどこかの会社の入り口にある大きな木の下で、鳥の糞などに汚れた創業者の銅像を見るにつけ、あーはなりたくないといつも思います。
結論
私の銅像を作ったりしようとする者はいないので杞憂なのですが、お願いです、墓も作らないでください。私の骨は故郷の川に撒いてください。